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「ポンツーン」2013年5月号(幻冬舎)より

固くシビアな題材が エンターテインメントに昇華

2013/05/01


筆者:関口苑生

若い頃読んだ小説に刺激を受け、小説家を志すようになったという人は結構多い。真山仁もそのひとりで、彼は高校二年生のときに何と山崎豊子の『白い巨塔』を読んで、小説の面白さと可能性に目覚め、自分が将来進むべき道はこれだと決めたという。また、ほかに影響を受けた作家にはジョン・ル・カレやフレデリック・フォーサイスなどがいて、それから社会派ミステリーや国際政治の裏側を描いた小説を片っ端から読みまくったのだとも……。

とまあ、こういう情報を知ってしまうと、わたしら書評家はすぐに何かしらの関係性や共通項を求めて、小利口に論じたくなる癖があるのだが、この場合に限っては何も言うことはない。素直に、真摯に「なるほどなあ」と納得させられたのだった。デビューから現在にいたるまで、真山仁が積み上げてきた数々の仕事の土台、根幹にはまさしくこの三人―山崎豊子、ル・カレ、フォーサイスの作家魂というか、小説に対する基本姿勢が脈々と息づいていると思うからだ。それは徹底した取材によるリアルな描写、重層的に構築された先が読めない波乱の展開という手法的なこともそうだが、同時にまた明白な善悪など存在しない社会の不条理、立場・思想によって変化する正義といった、単純には割り切れない世界の実像にまで迫っていこうとする態度も見事に重なりあってくるのである。

本書『黙示』も、そのことを示す絶好のテキストだろう。

静岡県の茶畑で農薬散布中のラジコンヘリが暴走し、養蜂教室に参加していた小学生の集団に墜落、子供たちが高濃度の農薬を浴びるという事故が起きた。その農薬は大手メーカーが開発した、ネオニコチノイド系の害虫駆除剤〈ピンポイント〉で、皮肉にも薬剤を浴びて重篤となった子供の父親・平井宣顕が中心となって研究開発を進めてきたものであった。被害者の親として現地入りした平井ではあったが、結果的に彼のアドバイスにより迅速かつ適切な処置がなされ、多くの被害者が大事に至らず回復に向かっていく。とはいえ、もちろん忸怩たる感情は生まれる。農薬は日本の農業と食生活を守るために必要不可欠な資材であり、適切に使用してくれさえすれば安全なものだという確信に揺らぎはなかったが、その農薬が息子を傷つけたのも事実だったのだ。

だがその一方で、このとき養蜂教室を開いていた元報道カメラマンの代田悠介は、これは許すことの出来ない事件だと憤りを覚えていた。彼を含めた養蜂家にとって〈ピンポイント〉という農薬は、天敵のごとき存在でもあったのだ。これによってミツバチが大量に行方不明となる、いわゆる〝いないいない病〟が発生する事態が増えていたからである。代田は数年前からこの事実を訴えていたが、ほとんど無視されている状態であった。

そこにもうひとり、農林水産省のキャリア官僚で、TPP批准以後を見据えた日本の強い農業を考える食料戦略室の秋田一恵が加わり、以後物語はこの三人の視点でテンポよく語られていく。秋田もまた、事業仕分けで注目を浴びた跳ねっ返りの国会議員が、米国産遺伝子組み換え作物の積極的導入を図っていることに困惑していたのであった。

ここで描かれるのは、大きく言うと日本の「食と農」が抱える危機と未来である。ああ、だがそれにしても、最終的にそのことを語る以前に何と多くの重要課題が残っていることか。真っ先に語られなければならない問題であるにもかかわらず、これまでずっとないがしろにされてきた多くの課題があることか。たとえば、農薬がミツバチに与える影響などというのはその典型例であったろう。こうした事例は、おそらく政治家にとっては票にも金にも繋がらず、マスコミにとっては地味で売り上げにも視聴率にも繋がらない話題であったせいなのだろう。

だが、一度マスコミの俎上に載せられてしまうと、今度は世界が急変する。農薬に限ったことではなく、ありとあらゆる事象について是か否か、YESかNOか、白か黒かという、究極の二元論で迫ってくるのだ。物事には、あっちかこっちかの二極しかなく、どちらが正しいか間違っているかの対立構図ですべてを捉えていこうとするのである。そこからネットのブログという、善意の運動者たる悪意の固まりも派生していく。

まったく凄い。というのは、これだけ固くシビアな題材をテーマにしているのに、読んでいてわくわくどきどきの感覚が止まらないのである。これが優れて面白い小説の謂なのだと思う。

最後に蛇足となるが、できれば本書と同時に短篇集『プライド』も一読されたい。本書で大活躍のあの人がこの人があんなことをこんなことを……とそれは驚きますぜ。