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真山とそのスタッフ達が、小説を制作する過程で行った調査や分析のリポートを紹介。

掲示板「もっと考えよう中国と日本」を振り返って

2008/09/07

by Masamitsu Kurata

「本当に日本人は中国のことを知っているのか。翻って中国人は、日本を理解できているのか」――真山のこの檄文によって、掲示板「もっと考えよう 中国と日本」は幕を開けた。「相手のことを正しく見ることも知ることもせずに、先入観や世間の風潮だけをよりどころに批判するのは、とても不幸なことだ。今、我々に必要なのは、意見ではなく知見ではないのか」

北京オリンピックの開催を前にして、小説「ベイジン」の連載が始まった。小説では、中国人と日本人が果たして理解しあえるのか、あるいは両者の間にどのような壁が立ちはだかっているのかが、一つのテーマとなっている。このなかで、「近くて遠い隣人」である中国と日本について改めて考え、徹底的に議論することを目的に掲示板は開設された。

掲示板では、日本と中国の大学生を中心に、社会人を含めた熱い議論が展開された。そのテーマは、日常生活における文化の違いや教育、就職活動の実態など若者に身近で具体的なものから、政治体制や社会的格差、マスメディアのあり方など一般的なものまで多岐にわたる。あらかじめテーマを定めず、議論と時事問題のなかで浮上してきたトピックを逐次汲み上げていく、現在進行形の掲示板となった。

複雑なテーマが折り重なるなかで議論を一貫したものは、参加者それぞれの実体験に基づきながら、稚拙であっても自分たちの言葉で討論するという姿勢である。例えば、ある中国人学生は上海郊外における自らの現地調査を元に、急速な経済成長を遂げた中国が抱える問題点を報告した。他にも、中国で買い物をする上でのモラルの問題、また戸籍制度による教育格差の問題や、他方で日本の就職における学歴主義の問題など、自分が見聞きした経験から生まれた切実な具体例が、各テーマに散りばめられている。

そこから浮き彫りになった中国と日本の姿、さらに両者の関係は、どのようなものだろうか。それは、なんとも形容しがたい複雑怪奇な「実態」であろう。あるいは、テレビや新聞の情報で培ってきた既存のフレームワークからはみ出してしまった、不格好な「現実」だ。議論は一つの結論に収束するどころか、逆に数々の疑問に分散してしまったと言える。

かの司馬遼太郎は、今から25年ほど前にこう述べている――「中国もしくは中国人とはなにか、ということは、二十一世紀に近づくにつれ、人類の切実な課題になってくるにちがいない。しかしこの設問ほど困難なものはなく、それに関する無数の具体的事例をそのあたりの浜辺いっぱいに積みあげても、事例そのものの形態、色彩、あるいは本質が複雑に相互に矛盾しあっているために、一個の概念化を遂げることは至難といっていい。…結局、中国は謎であるという一種の定説のとおりにわけがわからなくなってしまう」

掲示板における議論は、例に漏れず、これと同じ轍を踏んだのかもしれない。それでも司馬は続けて言う。「しかし徒労であっても、やらざるをえない」。結論を見ぬまま残された数多くの疑問は、討論の参加者とそれを見守った人々が、それぞれの実生活に持ち帰って、もう一度考えざるをえないテーマとなっている。

参考文献:司馬遼太郎、陳舜臣著「対談 中国を考える」(文春文庫)
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